「学ぶ」ということ

「学ぶ」の本来の意味は、「真似ぶ」(まねる)ということに由来しているといわれています。

実は「まねる」にも2種類あるそうです。
「結果まね」と「原因まね」です。「結果まね」は、表面だけを見てまねることです。例えば、生徒が答えだけを覚えてその問題の解き方まで考えないことなどがそれに当たります。

「原因まで」は、手本をベースに本質が何かを考え、創意工夫をこらすことです。先ほどの例でいうなら生徒がその問題の解き方を学んで、同じような問題なら例題が変わっても解けるといった具合です。

そのような学習法を「経験学習」と呼んでいます。
PDCA(plan-do-check-action)サイクルを自律的に回すことを継続的に繰り返し実践することで「学び方を学ぶ」を体得することだといえます。

これから時代、自分の頭で考え問題を解決するには、いろいろな失敗を経験し、その中でその失敗を二度と起こさないための知恵を身に付けることだと考えます。
つまり、自分で気づき考え行動するといった主体性を身に付けることが「学ぶ」場合の基本的な姿勢であるといえます。

今一度、「学ぶ(真似ぶ)」ということを考えながら、部下に接するのもいいかもしれませんね。

以前大学1年生の授業で、学生の質問に対して返答した内容について、それを聞いたある学生からの返答です。

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<学生からの質問>「先輩たちの就職状況などの情報を教えて欲しい」
<学生への返答>「1年生から就職部に顔を出してみるのも、自分の将来を考えるためには役立つよ」
「自分の目と足で確かめることが大切なんだよ」と

さらに、その返答に対してある受講生から次のような意見が寄せられました。
<学生の意見>「就職部に行ってください。というのは失礼だ(詳しく教えるべきだ)。」
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といった内容のものでした。


この学生の思考回路に違和感を感じるのは、私だけでしょうか。